カンボジア編。

カンボジア到着。

 8月4日、PM1:00 飛行機でカンボジアの首都、プノンペンへ。
 上空から眺めるプノンペン、建物やら樹木やら、すべてがまばらだから、大地全体が茶色いのがちょっと新鮮で、
なんかよくわからんけどカンボジアを甘く見ていた。という気持ちでいっぱいになった。
 だいたい空港の中にもなんにもない。
 売店がひとつと、両替所がひとつと、郵便局がひとつと、公衆電話がひとつ。
 ATMありますか。と尋ねたら、なんたらという街にしかないです。と言われた。
 そして、空港の建物から外に出ると、満面の笑顔のタクシードライバー達に一気に取り囲まれて、
タクシーを使いたいのはやまやまなのだが、あんまりみんなして笑顔で連れていこうとするから信用ならん。
 客引きをしないで、落ち着いてお客さんを待っているタクシーを探してみたけど、そんなものはいない。
 みんながみんな寄って来るんだ。
 両替所のお姉さんから、バイクだったら街中まで1$弱で行けるという情報をゲットしておいたから、
「わんだらー、わんだらー」って言うと、若い兄ちゃんが素早くバイクにまたがりつつ満面の笑みで「わんだらー」と言い、
後ろに乗るように促された。
 周りのドライバー達はそれでもへらへら笑っていて、「なんなんだあ、この人たちは。まじですかあ。」
と、日本語で独り言を発しながら覚悟を決めてバイクに乗ろうとすると、警察みたいな人が来て、そのドライバーに何かどなりつけていた。
 そのドライバーはトホホという顔をして、まわりのドライバー達はさらにニヤニヤ。
 ほんとに誰を信用していいかわからなくなって、10分ぐらい途方に暮れた。
 結局、最後はしつこく誘ってきたタクシーに乗った。
 その人は、首からぶら下げた写真つきの免許証らしきものをアピールしてきて、いかにもワルい感じだったのだが、
空港の門番の人に聞いたら、せーふ。せーふ。と言うから、乗った。
 タクシーと言っても、メーターがついてるわけでもなく、そこらの乗用車とまるでかわらない、ぼろいカローラで、
おれが後ろのシートに座ったら、運転手だけじゃなく、その友人らしき人まで助手席に乗り込んできたから、
かなり度肝をぬかれて、「おーい、まじですか、あなたたち」と言った。
 結局、その人たちは親切な人達で、道に迷いながら目的地まで連れて行ってくれた。
 最後に、たくさん迷ったからもう1$くれよお。とねだられて、全部で5$払った。
 そして、また何かあったら、と言って、電話番号の書いた紙を手渡してきた。
 あとでわかったのだけど、カンボジアの人達は仕事がないのだ。
 でも、きゅうきゅうとはしていなくて、仕事があったらラッキー。お金がもらえたらラッキー。ぐらいに思っている。
 素朴と言うか、おおらかというか。

孤児院のボランティア。

 日本から、カンボジアのボランティアの申し込みをしていきました。
 プノンペン近郊の孤児院で3週間。
 いろいろな国から若者が同時に15人ぐらい集まって、3週間すごす。
 アメリカ、フランス、ドイツ、オランダ、ユーゴ。日本人は3人。
 孤児院には、3歳から18歳ぐらいまで100人ぐらいの子供がいる。
 大半は、親が貧しくて育てられない子供らしい。
 プノンペンには孤児院が二つしかなくて、全然足りないらしい。

孤児院に到着。

 プノンペンからワゴン車で舗装道路を20分。でこぼこ道を20分。
 車が到着すると、子供達が走って車に集まってくる。
 さらに、みんな微笑みながら、両手を合わせて拝んでくる。
 それがカンボジアの、初めて会う人へのあいさつらしい。
 そんなストレートな歓迎、自分が偉くなったみたいで心地よい。
 そして、こどもたちのニコニコの視線を集めているのも気持ちいい。
 孤児院は予想外にきれいな建物。
 たくさん寄付をもらってるんだろうな。
 子供達が寝る2階建てが6つ。
 食堂、集会所、教室、本の部屋、音楽の部屋、ゲストハウス(会議室)。
 その日の夜は、ウエルカムパーティー。
 3歳の子供が、マイクで歌をうたう。
 そして、テクノ風のカンボジアポップにあわせて、おどる。
 まわりの子供達も大盛り上がりで、彼らは心の底からの笑顔を見せてくるから、
「ああ、楽園に来たんだ」ってしみじみと思ってしまった。
 最後はみんな入り乱れてディスコみたいになった。
 誰かが「ブラー」「ブラー」と呼んできた。
 どうやら、「ブラーさん」に似ているらしい。
 それから、子供達がかわるがわるに近寄ってきては、ブラーさんのおどりやらしぐさを教えてきた。
 なんのことやらよくわかんなかったけど、まねしてやると、いちいちみんな大喜び。
 なんて簡単なんだ。
 たちまち人気者になった。

孤児院の生活

 5:30 起床 体操。
 7:00 朝食。決まってインスタントラーメン(ポークミンチ味)。
 8:30 ちびっこにまじってフランス語の勉強(初級コース)
 9:30 30人ぐらいの子供たちに日本語を教える。    
10:30 16、7の少年たちに混じって英語の勉強(上級コース)。
12:00 昼食。(超豪華)
     午後は子供に遊んでもらう。スポーツやら音楽やら。
18:00 お祈り。
19:00 夕食(超豪華)
20:00 トーク、ゲーム、歌など。
22:00 就寝。子供部屋で子供達と一緒に。

 ご飯は子供達と別のものが用意されていて、とてもスペシャルだった。
 もちろん、食べ過ぎて胃を壊した。
 さんざん食べた後に出てくるデザートでいつもやられた。特にバナナには3回ぐらいやられた。
 カンボジア料理はタイやベトナムほど香辛料を使わず、野菜たっぷりで、日本食に似てる。
 電気は夜6時から、夜9時の間だけ自家発電。
 水道は井戸水で、食堂用と来客用シャワーの水だけ浄化槽がついている。
 はじめ、子供達と一緒に井戸水をキャーキャー浴びて喜んでおったのだが、
「昔、井戸水を浴びていたボランティアの人の目から菌が入って失明した」という怖い話を聞かされて、
悔しくも来客用シャワーを使うことにした。

日本語教師。

 ボランティアと言っても、なぜかほとんど仕事がなくて、役に立ったことと言ったら日本語を教えたことぐらい。
 教える内容などは別に指示もなく、好きにやってよかった。
 よーし、おもしろい授業やるぞ。と思ったけど、結構むずかしい。
 「これはなんですか?」
 「これはへびです」
 「あなたはへびがすきですか?」
 「いいえ、きらいです」
 たまには、大人の会話も教えてやった。 
 「あいしています」
 「はずかしい」
 子供も喜んでおった。
 子供達は日本語になかなか興味を持っていて、たまに日本人のお客さんが来るたびに、少しずつ教えてもらってるみたい。
 将来、外国の大学に行って、外国で働いてみたいと思っている子が多い。
 でも、大学に行くのには相当にお金がかかるらしく、よほどの熱意と成績とタイミングが合わなければ 行けない。1年に1人大学に行ければいい方らしい。
 ちょうどボランティア期間中に、大学に行きたい子が、試験に落ちてしまうという出来事があった。
 その子は子供達のリーダー的存在の18歳の子で、農業を勉強したいとずっと言っていたのだけど、
試験に落ちたために電気の専門学校に通うはめになっていた。
 日本だったら、1年浪人という甘っちょろいことが言えるのに、
孤児院では、その子をもう1年余分に置いておく余裕がない。
 厳しい世界だ。
 彼はずいぶん泣いていて、ボランティアがかわるがわるなぐさめていたけど、
おれはその子の前に行くと何をしゃべっていいかわからず、妙にはしゃいだりしてアホの子みたいだった。
 子供達は、高校を卒業すると、孤児院を出て行くんだけど、なかなか仕事がみつからないみたい。
 人によっては高校を卒業できずに途中で出て行く子もいる。学校は結構厳しい。

 


孤児院の風景











朝の体操





井戸で水浴び




フランス語の授業中

 

こどもたちのあそび。

 あるとき、ものすごいにわか雨が来た。
 すると、7、8才の子供たちが次々と素っ裸になり、
 外に飛び出していった。
 そして、大雨の中、素っ裸のバスケットボールをはじめた。
 腰にタオルを巻いた少年たちも次々に加わっていった。
 みんな大はしゃぎ。
 面白くて写真をとってたら、呼ばれたので、
 水着になって、参加した。
 水たまりがすごくてドリブルができん。
 最後は、雷があまりにも近くに落ちて、
 みんな、ぎゃー。と飛び上がって終了になった。
 この時だけかと思ったら、大雨が降る度に、毎回、同じ事が繰り返されてた。
 バスケットじゃなくて、サッカーの時もあったけど。
 雨が降ってないときよりも格段にテンションがあがって楽しい。
 
  孤児院のフットボールはすごい。
 水着が必要。
 グラウンドは草と水たまりだらけで、湿原のようだ。
 もちろんはだしです。
 子供達は普通の服を着たままだけど、終わった後にそのまま水を浴びるから、水着みたいなもんだな。


裸バスケ




湿原サッカー場


子供たちについて高校に行った。
 グラウンドの地べたに座ってたら、
 子供たちにクマッケイ、クマッケイ(恥ずかしい)と言われた。
 裸でバスケットしたり、孤児院内のそこら中で立ちションをするのはいいのに、
地べたに座るのは恥ずかしいのか。と、ちょっと憤慨。
 子供達は、孤児院の外に出ると、けっこう人の目を気にする。
 立派なバイクで登校している生徒とかもいて、孤児院の外に出ると
貧富の差を見せつけられている。
 孤児院の中ではあんなにのびのびしているのに。

 日本人は、服やら靴やら時計やらをたくさん持っていて、日によって選んだりするけど、
 孤児院の子は、時計や靴はひとつずつしか持っていないし、
 服は2着か3着ぐらいしかなくて、毎日洗濯して、いつも同じ服を着てる。
 それは、のびた君やジャイアンやしずかちゃんがいつも決まった服を着ているのと一緒で、
それはそれで、なんかいい。
 そんな手持ちの少ないシャツたちに豆腐部を貼り付けちゃった。
 豆腐部Tシャツキットを持っていったから、子供達のTシャツを豆腐部Tシャツにリメイクしてやった。
 豆腐部員、6人増。
 豆腐はカンボジア語で「たうほー」と言うらしい。
 一応説明したけど、意味がわかってるんだかどうだか。
 でも、みんな満足げだった。
 

豆腐部員 in Cambodia

獣医大活躍?

 自分が大学で獣医学部だったことは子供達に知られていた。
 ある時、犬の治療をしてほしいと言われた。
 耳を痛がって、毎晩夜鳴きするらしく、耳の中に虫がいるのではないかということ。
 子供の真剣な顔をみたら、「診療の勉強はしてないからわかりません」なんて言えない。
 さっそく診療。
 といっても、何の準備もないから、自分のありあわせのものをフル活用。
 まず、懐中電灯で耳の中を照らす。
 さっぱりわからん。きっと虫に違いない。
 ウエットティッシュで耳の中を拭く。
 耳にシュシュッとマキロンを吹きかけ、さらに虫よけスプレーを吹き込み、とどめにステロイドを塗ってやると、
子供たちは「おー」と感心していた。
 しかし、次の日、予想通り、全くもってなおってなかった。
 それから、孤児院の中に薬棚があるのを知り、イソジンみたいな薬を発見した。
 それを飲み水で薄めて、犬の耳に静かに注ぎ込み、くちゅくちゅともんでやった。
 学校での診療実習中にそんな治療をみたことがある気がした。
 犬は、相当いたがっていて、それからおれの顔を見ると逃げるようになったけど、
それからかゆいしぐさをみせなくなって、夜鳴きもしなくなったので、
みんなにやるなあと言われてたのもつかの間、
4日ぐらいしたら、元に戻ってきて、しかも自分で耳をかみ切って血を垂れ流していたから、
わたくしの獣医株も急下降。すっかり自信をなくしたのでした。
 
 ある日の朝食後、少年に「アニマル」と言われてついていくと、がりがりの牛が横たわっていた。
 「その日朝から下痢をして立ち上がらない。なぜだ」とたずねられた。
 知るか、そんなこと。
 みんな途方に暮れていて、「どうしたらいいの」と聞いてくるから
I have no idea って言ったら、Why ? とか言われてかなり困った。
 しかし、聴診器も直検手袋も体温計もないのに、専門家ならわかるのかな。。
 獣医としての株、さらに下降。。

 ある日の午後、のんびりしていると、「ケースケ」と呼ばれて行ってみると、
子供がバレーボール中に足をくじいたらしく、うずくまって痛がっていた。
 どうしろっちゅうねん。
 はあ。



耳から血を流しうずくまる犬












まだ元気な頃のヤセ牛
「ケースケと一緒でガリガリ」
と、子供に言われた。むきい。


 

床屋。

 毎週日曜日は床屋のおっちゃんが来て、何人かの子供が切ってもらう。
 誰かが切ってる間、まわりに結構人が集まって、からかったりして騒いでいる。
 子供たちにまじって、きってもらった。
 目指すはカンボジアンヘアー。
 おしゃれ坊主から、カンボジアンヘアーに転身。
 何も言わずに任せてみたのだが、まさか、もみあげを四角に切られるとは。。 まるでわかめちゃんだ。
 せめてテクノカットにしてくれえ。
 
ノープライベート。

 子供たちと遊ぶのにも少し飽きてきて、有吉佐和子の「香華」という本を借りて読み出したんだけど、
どこにいても、子供たちがかわるがわるやってきては、ちょっかいを出してくる。
 本も読めず。
 おれは、芸者、朋子の成長が気になるのに、ほっといてくれ。
 と思うのに、一人の時間は、10分ともたない。

エイズ蔓延カンボジア。

 子供たちにHIVの講義をしよう
 と、ユーゴから来てる女性ボランティアが言った。
 しかし、なぜかそういう話に女の人が加わることがタブーらしく、年長の少年だけを集め、男性陣がレクチャーすることになった。
 しかし、どうやって教えるんだ?という話し合いになった。
 「何かにあれをかぶせて見せるんだ。」
 「何かって何だ?」
 「ちょうどいい大きさのもの。」
 すると誰かが、「ブッダ!」と言った。。もちろんボツ。
 レクチャー中、少年たちは終始、照れていた。質問を求めると、
「いざというとき、セットしよう。というのは男か女か?」と聞かれた。
「イッツ、アップ、トゥー、ユー。いろんなシチュエーションがあるわけで。。。」
などといいつつ、無事終了した。


 子供達はけっこうしっかりしている。
 かばんを開けっ放しにしておくとおこられる。
 布団をしきっぱなしにしておくと、いつの間にか畳まれている。
 お祈りや、体操の時、ふざけすぎると「あがれー(だめ)」と言って、注意される。
 どこの国に行っても駄目な子か。おれは。。
 お腹が痛い。と言って寝てたら、子供が果物を持ってやってきた。
「クニョム チュー ティンニ(お腹が痛いのです)」と言ったら、食べなきゃだめだとか言ってくる。
そして、断ったのに、さらにフランスパンを持った子や、お菓子を持った子が次々とやってきた。
 君達、楽しんでないかい?
 タイガーバームを持ってきて腹に塗ってくれる子も出現。
 これを飲め。と言ってよくわからないうちに頭痛薬を飲まされて、余計に腹が痛くなった。



髪を切るところ


Cambodian hair

 

お別れ。

 孤児院を離れる前日、盛大な「フェアウェルパーティー」が開かれた。
 子供達のダンス、ボランティアの人たちの各国の出し物。
 日本チームは相撲のアトラクション。
 腹に布団を詰めて、ちょんまげとふんどし。
 それから、火を囲んで4時間ぐらいぶっ通しで踊った。
 子供達が、お別れだと言って、いろいろといらないものをくれた。
 おかし、つめきり、こわれかけのベルト。
 極めつけは水の中にサンタが浮かんでいる置物。
 最高にいらねえ。
 しかも裏に「10.11.1984 CHOMNAN」 と書かれている。
 CHOMNANとはその子の名前。
 大事なものそうで捨てるに捨てられない。
 みんな、寂しそうな真剣な顔をして渡してくるから断れない。
 しかも、そのかわりに、おれのいろんなものをおいていく羽目になった。
 サンダル、ズボン、懐中電灯、辞書、
 そして、部員番号1番の、豆腐部Tシャツも置いてきてしまった。
 出発の朝、涙の別れ。
 といきたいところだったけど、最後に何と言っていいかもわからず。
 妙によそよそしくなったりしながら、みんなで記念撮影をしたり。
 ワゴン車で孤児院を去っていくとき、100人の子供達に手をふられながら、
なぜかすっきりした気分で孤児院を後にした。
 子供達の成長が気になって、また会いに行ってしまうかなあ。

フェアウェルパーティー。
ココナッツダンスを披露される。


部員番号1 チョムナン。

プノンペンの街中。

 カンボジアは、タイとかベトナムと比べて、バイクで2人乗りしている人が少ない。
 みんな、3人乗りや4人乗りなのだ。
 5人乗っているのも一度目撃した。
 4人乗りは、ぎゅうぎゅうで結構楽しい。
 カンボジアは、ひったくりがとても多いらしく、治安が悪い。
 一緒にボランティアに来ていた日本人の女の子も、バイクタクシーに乗っているときに、バイクに乗った2人組みの男にかばんをひったくられそうになり、かばんは守ったのだけど、乗っていたバイクが転倒してしまい、頭をけがして、日本に帰ってしまった。
 でも、普通のカンボジア人は、ニコニコしていて、とてもいい人だ。
 バイタクの運転手もお人よし。
 タイやベトナムの運転手は、「もっと払え」とおどしてくるけど、カンボジアの運転手は、「もっとくれよお」とねだってくる。
 物売りの子供達は本当にかわいい。
 写真とらせて。って言ったら喜ぶし、それでさんざん会話を楽しんで、じゃあね。と言うと「why」とか言って、ねだり笑顔をする。
 それで、残念そうな顔をして別の人のところに行ったと思ったら、
しばらくしてとびっきりの笑顔で戻ってくるから、あんまりかわいくて、かばんの中に入っていたくさりかけのお菓子をあげた。
 そうしたら嬉しそうに受け取ったから、100リエルよこせと言うと、「あー?」と言って、いい困り笑顔をみせてくれた。


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