マラソン大会

 今年度の目標の一つ、マラソンを走ること。42.195キロメートル。マッチョを目指す男の憧れである。

そいつを走りきれば、おれも軟弱ひ弱、顔色悪い人を卒業し、ガチンコ体力系たくまし男に仲間入りできるような、昔からのイメージがあった。

しかも、海外の放浪で、1日中歩いたこともしばしば。
やるんなら今しかない。社会人になってしまったら、体がなまってしまうに違いない。

インターネットでマラソン大会のページを検索し、3月中に開催される大会に目を通し、

「3月24日、愛知県安城市、緑道マラソン大会、桜満開の緑道コースです」 というのに決定した。もちろん、桜という言葉にひかれたのである。
本当は、その日には、英語を忘れないうちにTOEICのテストを受けるはずだったのだが、あとまわし。英語よりマラソンの方が大事である。

3月3日、マラソンを3週間前に控え、とりあえず走ってみる。
その時は弟の家に居候をしていたので、弟の家の周りを15分ぐらい走ってみる。
家にもどってきたとたん、気持ち悪くなる。
マンションの入り口で倒れる。
弟に助けてもらう。
弟に「やれやれ、とほほ。」と言われる。

3月13日、あと10日しかないことにあせって、ようやく練習再開。
初日は5キロ。貧血にならずに安心する。
それから、ほぼ毎日走る。最高で20キロぐらいまで走る。

そしてマラソン当日。
絵に描いたようなマラソン日和であった。
目標は4時間。なぜなら、そのタイムをクリアすれば、北海道国際マラソンの出場権を得ることができるから。

スタートはゆっくり。ほとんど最後尾でトラックを周り、道に出て行った。
少し前に、40歳ぐらいのおじさんとおばさんが一緒に走っていた。
彼らは、取りとめのない世間話をずーっとしていた。
「誰々さんちの奥さんが癌になったってよ」「あらまあ、まだ若いでしょうが、いくつだったかね?」「まだ40前よ。子供がまだ小学生だがね」 などと、話していて、かなりのんびりムードになってしまった。
「長い道のりだって、根性で走りきってやるぜ。練習の成果を生かすのさ。」というおれの気合いも興ざめである。

「こいつらと一緒に走っていては北海道マラソンなんて出れねえ」と思い、少しペースをあげ、おしゃべりカップルを後にすることで、自分の気持ちを引き締め直した。

10kmの給水ポイントで、大学時代の後輩のたっちゃんと、その彼女が応援に来てくれていた。彼は実家が安城なのである。
彼らは、「給水、給水」とうれしそうに騒いでいたので、「おっといけねえ、忘れるとこだった」とおおげさに言って水をがぶ飲みしてやった。
マラソンと言えば、給水である。
給水所には、水とポカリスウェット、それにバナナとオレンジとお稲荷さんが並んでいた。
こんな時に、誰がお稲荷さんを食べるものか。謎である。

20キロ辺りからやっぱり足が動かなくなってきて、たっちゃんが、「このままじゃ4時間切れないっすよ」と言ってきたので、「さっき、ついついオレンジ食ったらさあ、横っ腹が痛くなっちゃって」と言い訳をした。
足を前に出すのがつらいのだ。

すると、後ろから、おしゃべりカップルがやってきた。
そして、相変わらず同じペースでずっとおしゃべりをしていた。
「くそお、こいつらについて行こう、佐々木さんの不倫の行く末が気になるし」とがんばったけれど、その時の力では1kmもついていけなかった。
おそるべし、おしゃべりカップル。何がすごいって、おしゃべりのネタが尽きないところがすごい。
たっちゃんの話によると、彼らは、最後までおしゃべりしながらゴールしたらしい。

30kmぐらいから、たまに歩くようになって、
35kmぐらいからはもうほとんど走れなくなっていた。
のんびり走っていた人にどんどん抜かされていくんだけど、よれよれのお婆ちゃんに抜かされる時の屈辱と言ったらないね。

「くっそお、お前なんて、もし足が元気ならば負けたりしないのに。。覚えてろ。」と思うのがやっとだった。

38kmぐらいの給水で、もうどうせ走れないんだし、いいや。
と思って、ついにお稲荷さんを手にしてしまった。

給水所のおばちゃんは、「食べて、食べて」と嬉しそうだった。きっと売れないに違いない。
そして、おばちゃんは、「あともう少しだがね。がんばって」と言ったので、
「もうだめー。うごけないー。」と言うと、
「何いっとんのー。あんたまだまだ元気そうだがね。。」 と言われたので、
こっちの気も知らないで、くっそぉ。と歩き出した。

ついに最後の競技場までよれよれ歩きながら戻ってくると、競技場の入り口にいたおじさんが、
「まだ、わきゃぇんだし(若いくせに)、走れるだらー」とものすごい名古屋弁で言ってきて、
隣にいたおばさんも、ほら、走れ、走れ、と言ってきた。

マラソン大会とはそんなものなのか。

絶対もう走れない。と思っていたのに最後にトラックを1周走って、ガッツポーズをしながらゴールした。

タイムは4時間14分、順位は290位(450人中)。

北海道は無理だったけど、まあまあだ。
その時の一番大きい気持ちは、「ああ、もう走らないでいいんだ。動かないでいいんだ。」という嬉しさだった。嬉しかった。

日記コラムに戻る。

ホームに戻る。