昨年頃から、
ぼくのアトピーがまた出てきていて、
たまに薬を塗ったりしていたのですが、
今回、ヴィパッサナーの合宿には、
薬や、化粧水など、肌につけるものは何も持っていきませんでした。
なんでかと言うと、
以前に、小池龍之介というお坊さんの本を読んだとき、
「ヴィパッサナー瞑想で、かゆみを客観的に眺めれば、
かゆみは我慢できる」
と書いてあったので、それを試したかったのと、
規則正しい生活と、健康的な食事で、
アトピーが改善するかどうかを実験したかったのです。
念のために、持っていけば良かったのに、
ずいぶんと、思いきってしまったものだ。
それで、合宿に行ってみると、
環境の変化もあったのか、
激烈にひどくなってしまった。
3日目の夜は、
全身のかゆさで、ほとんど眠ることもできず。
かゆいを通り越して痛いほどでした。
「このかゆさも、受け取り方次第」
「かゆさを客観的にじっと見つめよう」
眠れないことに焦り、
珍しくイライラして、
ドタンバタンと騒々しく寝がえりをうって、まわりの人にも迷惑だったと思います。
翌日は、寝不足と、かゆさで、自分に余裕がないためか、
まわりの人を、意地悪な目で見ていることに気づきました。
その日の夜の講話で、ちょうど、かゆみについての例え話が出てきました。
ゴエンカ師は、
「かゆみは、心地よいか、心地よくないかで考えれば、
たしかに、心地よくない、不快なものである。
でも、人間の幸せは、感覚器官の快・不快では決まらない。
感覚器官の快楽を追っていけば幸せになれるか?
さらなる快楽がほしくなるだけである。
だから、どんなに不快な状態でも、
それに対して嫌悪を抱かずに受け入れ、快くなることへの執着を消せれば、
幸せになれるのです。
なんでこんなにかゆいのか。
と、自分や環境を責めることで、余計にかゆくなるのです。
一生続くかゆみなんてない。
かゆさをただ、客観的に眺めなさい」
まるで、ぼくのためのような、ピンポイントな話でした。
ぼくは、そのときに思いました。
ぼくは、いつも、心の勉強会などで、
「すべてのものはとらえ方次第。
病気も、とらえ方次第で、幸せにも、不幸にもなる」
と言っているのに、
かゆいぐらいで、心の穏やかさを失っているのです。
それどころか、ドタンバタン寝返りをうって、
人の睡眠までうばっている。
もっと大病にかかって、
体中に激痛が走るような状態になった時に、
果たして、おだやかでいられるのか?
その日の夜は、再度、
自分のかゆみと冷静に向き合う挑戦です。
右おでこと、左眉毛と、右ほおがかゆい。
うおー、急に首のかゆみもおそってきたぞ。
まるで、戦況を眺めているかのように、
かゆさのゆくえをじーっと観察し、
かかないように、両手を体の下敷きにして必死に耐えます。
かゆみっていうのは、なかなかすごいもんで、
3時間たっても、まだ同じところがかゆかった。
顔をゆがめて必死に耐えるけど、
ついには我慢できなくなり、やっぱりかく。
しかも、我慢してた分、かゆさも増幅していて、よけいにかいてしまう。
なかなか、甘くないのだけど、
でも、そんなふうに、苦悶の表情で必死に耐えている自分を、
ほほえましく思うことはできました。
みんなが寝ているのをおこさないように、
ゆっくりゆっくりと音をたてずに寝返りをうつ、かわいい自分。
考えてみれば、
もし、ぼくがアトピーでなければ、
ここまで健康や環境に興味がなかっただろうし、
ヨガもやってなかったかも。
今、食や環境の活動をしている人のうち、
けっこうな割合の人は、
アトピーみたいな病気がきっかけになってるんじゃないかなあ。
そう考えると、
アトピーで生まれてきたぼくのような人は、
自然のアンバランスを、自分の体をもって気づき、
そして、良い方向に導いていく、大切な使命を授かってるんだなあ。
なんてことを思いながら、
結局、その夜もほとんど眠れずにすごしたのでした。
かゆいのは我慢できないけど、
まあそれでもいっか。
寝れなくてもいっか。
眠かったら、瞑想中にかってに寝るだろうし。
というふうに、おだやかに受け入れることはできた。
そうしたら、ふしぎと、その翌日から、ちょっとずつ良くなっていきました。