座禅の瞑想修行(滋賀)から帰りました。

座禅合宿から帰って参りました。

11/17~11/23の7日間の集中合宿。

いやはや、すごかったです。

行っていたのは、朽木學道舎という禅堂で、
滋賀県と福井県の県境にあります。

携帯が圏外になってから、
さらにバスで2時間の、奥地。

kuchiki_outview.JPG

禅堂の外観です。
みごとな、かやぶき屋根。

参加者は、全部で10名ほど。
男女半々で、
24歳~67歳と、年齢も幅広かった。
京都や和歌山など、関西の人もいたけど、
関東やら九州やら、全国から集まってました。

合宿中は、
基本的に、人と話してはいけません。
それどころか、人と目を合わせることさえ、だめなのです。

徹底的に、自分の内側、特に呼吸に、意識を向けるためかなあ。
ただ呼吸になりきる。
とにかく、余分なことに気を遣うことなく、集中して修行に励めるのです。

唯一、話をするのは、
2日に1回ほど、老師と個人面談する時だけ。

朝は、5時に起床です。

みんなが川の字で寝てるとこに、
鐘をガランガラン鳴らした人がやってくるので、
自動的に(というか、強制的に)、起きられる。

座禅は、「40分座って、20分休んで」
という1時間周期のサイクルで繰り返します。

この40分というのが、動かずにがんばれる、ちょうど良い時間。

何度も、仕切り直しができるのもうれしい。

「次の40分間こそは、集中するぞ」と、

休憩の間に、
カフェイン入りのお茶を飲んでみたり、顔をたたいてみたり、
少し外を歩いてみたり、ときにヨガをしてみたりして、気合を入れます。

1日の時間割が、とてもシンプルに定まっていて、
淡々と、自然と、こなしていくことができます。

時間割だけでなく、
生活の中のいろんなことが、とてもシンプルです。

日常で考えなければいけない事を、極力、省いている感じ。

例えば、
席順が決まっていたり、
食事のお作法が決まっていたり、
鐘の合図が決まっていたり、
食事のメニューが決まっていたり。

フレームワーク(型)が定まってるから、シンプルなのですね。

昔、イチローが、毎日カレーと決めていたり、
バッターボックスに入るときに、
いつも同じ動作を繰り返したりするのと、
同じだなあと思います。

おかげで、日常で考えることがほとんどなく、
頭をシンプルにして、呼吸に集中できるのです。

考えることといったら、
「今、トイレに行っとくべきかなあ」
とか。
とにかく、単純なのだ。

食事は、朝がおかゆ、昼が一汁三菜、夜がぞうすいorうどん
と決まっている。

でも、その中の具は様々で、
畑で取れるさまざまな野菜やら、お豆やら、
無限の組み合わせがありました。

お皿も、いつも同じものを使う。
食べ終わったら、お湯と漬物で洗ってしまいます。

そして、食べる時は、全精力を傾けて食べます。
ぼさっとしてると、みんなから遅れを取る。

食事があまりにも早く終わるので、

朝食の時間をはかってみたら、22分だった。

集合の鐘が鳴って、
みんなが集まってきて、
ごはんなどをよそって、
お経を読んで、
食べて、
食器を洗って
みんなが退散するまでで、
22分。

すごいです。ささっとしていて忍者のようだった。

禅の生活は、
生活すべてをかけて、呼吸に集中仕組みだったのです。

いやあ、すごい。壮大です。
伝統的に作り上げられた仕組みだそうです。

ずいぶんと、長い文章になっちゃった。
続きは次の記事で。

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