小水力発電を用いた、石徹白の地域づくり

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辻信一さん、プラチャーさんのツアーにお供する中で、
岐阜県の、石徹白(いとしろ)を訪れました。
元々は、白山を訪れる修験者の宿場町として栄えた、標高700mの集落。
最大で1200人を越えた人口も、
50年あまりのうちに、4分の1に減少し、
スキーリゾートによる町おこしも失敗し、
ますます人口減少が続く中、
持続可能な集落をめざした地域づくり活動が始まったそうです。
移住者である、平野さんを中心に、
水車を使った、小水力発電のプロジェクトが始まりました。
小さな水車で、ひとつひとつ実績を重ねながら、
地域の人たちを巻き込み、
みんなで資金を出し合って、
水車を増やしてきたそうです。
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平野さんは、言います。
「高度経済成長で、物は豊かになっても、
しあわせは増えなかった。
不幸の原因は、依存にあると思う。
食べ物が足りない。
物が足りない。
電気が足りない。
と、外に求める考え方。
小水力発電が、地域の問題を解決するのではない。
小水力発電をきっかけに、
自分たちの手で、自分たちの暮らしをつくるという、
依存しない精神を取り戻すことが大事。
だから、水車づくりにも、できるだけ地元の材料を使い、
電気工事も土木工事も、地域の人たちで行い、
壊れても、自分たちで修理できる。
この田舎の小さな村には、すべてがある。
水は豊かだし、
土も豊かで食べ物も作れる。
服も自分たちで作れるし、
電気も自分たちで作れる。
豊かな人と人とのつながりがある。
外に頼らなくても、楽しく生きていける。」
石徹白の小学校の生徒は、年々減り、
全校生徒は4人まで減ったそうですが、
意識の高い若者たちが少しずつ集まってきたおかげで、
移住者の子供がこれから入学して、
V字回復で、増えていくそうです。
今、石徹白は、山村の地域づくりのモデルとして注目されていて、
これから他の地域でも、同じような現象が広がっていくのだと思います。
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石徹白の神主さんは言いました。
「このあたりは、水がきれいな地域と言われるけれど、
子供のころ、うじゃうじゃいた魚が、ほんとに少なくなった。
戦後、利益を求めた人たちが、
山の杉を、全部切り出して、売り払ってしまった。
毎日毎日、トラックが来て、運び出していった。
その影響か、1980年ごろには、
たくさんあった樫の木は、全部枯れてしまった。
土の栄養はなくなり、海の栄養はなくなり、
魚が減っていったのだと思う。
また戻っていくには、数百年という時間がかかると思う」
「もっともっと」と、きりがない成長を目指して、
自然を損ない続けた、
産業革命以降(特に戦後の経済成長)の時代から、
「足る」を知り、依存せずとも満たされ、
自然と共生していく、新しい時代へ。
時代の変換は、すでに始まっていると感じます。

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